• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 19

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 19

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日本を代表する建築家/プロダクトデザイナーが70代から中国で最も有名な文化人になるまで 黒川雅之氏④

「僕はまだまだ若い人たちと同じリングで戦いたいと思っている、飾り棚に入れられるのは真っ平ごめんだ」80代に入った黒川氏が力を込めて語った言葉は100年時代に必要なマインドセットの見本ではないだろうか。
若い世代と一緒に戦えるシニア世代が増えなければ、100年時代の社会は淀んでしまうばかりだ。
「兎角日本では、先生は既に御高名、御高齢だからなどと言って、若者と一緒に戦わせてくれない、それが一番の不満」
日々精力的に中国・日本で仕事を展開し続けている黒川氏のパッションを見習うとしても如何にしてここまで軽やかに活動できるのだろうか。

国境を越えたプロジェクトを次々と実現させた背景には、黒川氏がパソコンやスマホなどデジタル機器を使いこなしていることは大きい。
60歳から覚えたパソコンの活用、そして中国で最もポピュラーなSNSアプリ、WeeChatの駆使で、画像、音声、活字のリアルタイムのやり取りも厭わない。
筆者とのメールのやり取りも迅速であることが印象的だった。

黒川氏は後続の指導にも大きな使命を感じてきた。
自ら出版社を経営して哲学や思想を発信し、黒川塾を主宰する教育者として、デザイナーやアーティストを集める文化デザインフォーラムを東京で毎年2、3回開催し、代表監事としてシナジーを生むリアルな場を提供している。

日本で続けてきた「後続の指導」は中国において更に大きな規模で求められた。
2005年頃を境に依頼が急増した中国の大学等での講義・講演は2014年には香港の大学でも頼まれ、天津の大学と同様1000人単位で聴講者を動員する有名レクチャーとなる。
著書「8つの日本の美意識」は日本で10年をかけて4000部売れたが、中国では半年で4000部が売れるというスピードだった。
中国でも日本と同様13冊の本を出版するに至っている。
現在、北京工業大学を始め4、5校の大学で名誉教授の肩書を得て、滞在中の中国のホテルで「あなたは私のアイドルです」と若い人から声を掛けられた時には驚いた。

黒川氏の活躍の元となるパッションは如何にして持ち続けられるのか。
「今に生きなさい、一日を摘め、というラテン語のCarpe diemという言葉があります。未来はないと思うことです。」
「豊かな老後であるはずが裏切られたと嘆く前に、発想を変えればよい。安全・安心第一が必ずしもいいことばかりではなく、不安に打ち勝ってつかみ取るものもある。残酷な言い方だが、リタイアすれば現金はあっという間になくなるのだから、バリバリ稼ぎ続ければいい。小さな仕事を作り続ければいい。」

今の仕事がなくなっても、稼げることなら何を始めてもいいと言う。
シニア世代は人間関係のストックがあるのだから、志が同じ者が集まって何か始めることも可能だ。
「大手企業で社長や役員をしてきたシニア達がボランティア活動ばかりでは勿体ない。ただし独立後の起業は形から入ると失敗する。毎日3時間でもいい、週一日でいいから社会で役立つことで対価を得られることを考えてから実行するべき。」

黒川氏の今後の壮大な目標は、「文化としてのデザイン」に魂とエネルギーを入れ込むこと。そのためにも日本で新たな表彰制度をつくりたいと考えている。
「ドイツのレッド・ドット・デザイン賞のような賞を日本でも創設することで、日本のプロダクトデザインが世界的に認められる糸口が広がる。」
そして大きな夢もある。
プロダクトデザインのための美術館、モノミュージアムを創ること。
今後の活動から目が離せないスラッシュ・パーソンのお手本の夢はまだまだ広がっている。

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。