• 平均寿命50歳時代に60歳で天下統一した徳川家康の経営術 4

平均寿命50歳時代に60歳で天下統一した徳川家康の経営術 4

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最悪の事態にも対処し得る家康の想定力!

―――徳川家康はかなり用心深い人物だったのですね。

そうなのです。家康の危機管理対策はまだまだ続きます。
徳川家の天下が続くように、危険人物の台頭を未然に防ぎ事前に阻止する、そのために幾重もの対策を講じてきた家康ですが、さらに、万が一、敵が江戸まで攻めてきた場合についても想定していました。
言ってみれば「最悪の事態」です。
家康がこの最悪の事態を想定していたことの証として、今も存在しているのが半蔵門と甲州街道です。
半蔵門の由来は、服部半蔵の屋敷跡であるということにありますが、半蔵は語り継がれる伊賀忍者の頭領。
かつて本能寺の変が起きた時、半蔵は家康一行が堺から伊賀を越え、三河に逃げ帰る手助けをした実績がありました。
それ以来、服部家は伊賀を抱えつつ徳川に仕えていたのです。
半蔵門の位置は、ちょうど江戸城の裏門に当たります。
つまり半蔵門は、江戸城が敵に攻め入られた時の脱出口となっており、半蔵はその際に将軍を守る役割を担うことになっていました。
江戸城を脱出した後は、甲州街道を通って甲府まで逃げるというのが最悪の事態に備える決まりごとだったようです。

―――甲州街道は徳川家にとって敵から身を守りやすいルートだったのでしょうか?

甲州街道は半蔵門を出てからほぼ一直線上に西に繋がっていますが、重要街道で江戸城と直に繋がっているルートは他には存在しません。
また、甲州までの途中にある多摩地方では、低い身分ながらも、いざという時に将軍を守るための強い意志と忠誠心を持っていた八王子千人同心が組織されていました。
これは、武田旧臣の一部や豪農などにより構成されていた組織で、農業に励みながらも、武蔵と甲斐の国境付近を警備する役目を持っていました。
ですので、このルート全体が敵から身を守りやすい環境にあったのです。
実は、このように徹底した徳川家の危機管理対策は、200年以上も後の幕末で、機能することになります。

徳川家へ忠誠心のある風土のなかで、幕末に生まれた近藤勇や土方歳三は、のちに新撰組として江戸幕府のために最後まで戦う運命を背負います。
新撰組には八王子同心会など、徳川に忠誠心を持つ地方の出身者が多かったのです。
最終的に徳川幕府は倒れたものの、260年以上もの間、徳川家が途絶えることがなかったのは、企業で言えば経営を維持するための想定戦略が実に見事だったからなのだと思います。
政治においても企業経営においても、また個人においても、徳川家康の『将来を想定する力』とリスクヘッジをもとにした『危機管理戦略』のなかに、もしかしたら人生100年時代を乗り切るヒントが隠れているのかもしれません。

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岡田晃プロフィール

1971年慶應義塾大学経済学部卒業。同年、日本経済新聞入社。
記者、編集委員を経て、テレビ東京経済部長、テレビ東京アメリカ社長、理事・解説委員長などを歴任。「ワールドビジネスサテライト(WBS)」など経済番組のコメンテーターやプロデューサーをつとめた。
2006年テレビ東京退職、大阪経済大学客員教授に就任、経済評論家として活動開始(現在に至る)。
著書は「やさしい経済ニュースの読み方」(三笠書房)など。