• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 4

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 4

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元IBM-VC日本代表 勝屋

外資系企業での輝かしいキャリアから一変。リストラを機に新たな自分を発掘、発信し続ける勝屋 久さん55才 ①

いい大学を出て、いい企業であわよくば一生安泰に勤めることが何よりも幸せという価値観を社会や親から何の疑問も持たずに植えつけられ、その期待に応えるべく新卒で入った日本IBMで30代まで、実績とキャリアを積んできた勝屋久さん。

血気盛んな20〜30代の頃には直属の上司とぶつかるほど、自分の仕事に信念もビジョンも持っていたつもりだった。
しかし、上長と決定的な軋轢ができてしまった30代前半、従来想定してきたような出世のパスがなくなっていることに後々気付くことになる。

1999年に「Netgen Task」という社内プロジェクトのリーダーを任される事になり、スタートアップ企業の経営者やVCに接する機会が頻繁になり、ビジネスの楽しさやスピード感を味わう。
折しもミレニアム前後「IT起業」は世界的なムーヴメントだ。
そして2000年にIBM本社のオープンイノベーション戦略として「IBM Venture Capital Group」が生まれ、日本代表に就任。
その後、数千名の起業家やVCと会う機会に恵まれた。自然と起業家やビジネスを見る眼が養われ、生まれ持った才能である人と人をつなげることが役に立ち、若い起業家たちを成功に導くことに生き甲斐を感じていた。

2000年代初頭には米国のITバブル崩壊。景気が急速に後退し、これまでスタートアップ企業を応援してきた名だたる日本の大手企業がVC事業から手を引く中、自分だけは志を持った起業家たちを見捨てるようなことはしたくなかった。
不思議と集まってくる目を輝かせた起業家志望の若者たちに自分も鼓舞される日々。

2006年には、仲間と共に創った完全招待制スタートアップコミュニュティ「Venture BEAT Project」で交流イベント等の活動が日経産業新聞でも写真入りで大きく取り上げられ、日本におけるスタートアップ業界で自分の存在と影響力が確固たるものになってきた。
そのころには社内の王道の出世コースを意識することもほとんどなくなっていた。
社内よりスタートアップコミュニュティで人を繋げるなど、自分が出来る事で、好きな起業家や投資家のお役に立つということが、自分のミッションとして心の中でフォーカスされてきた。

元IBM-VC日本代表 勝屋

社外でのこうした活動は社内の一部の力のある人たちに認められ、ほとんど会社へ行かず、社外で自由に活動をしていた。

しかしそれから数年後の2010年3月、華々しい活動は突然終止符を打たされた。
突然の上司からの面談要請。嫌な予感は的中してしまう。
「リストラ」この言葉が自分に降りかかってくるとは、まさに青天の霹靂だった。

(続きは明日更新)

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。