• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 5

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 5

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元IBM-VC日本代表 勝屋

外資系企業での輝かしいキャリアから一変。リストラを機に新たな自分を発掘、発信し続ける勝屋 久さん55才 ②

新卒から入ったIBMでキャリアを積み、更にはIBM Venture Capital Groupの日本代表を任され、活躍の場を広げてきた25年だったが、予想外のリストラ宣告に闇の淵に突き落とされた思いだった。
2010年3月の宣告後、人生お手上げ状態で死にたいと思う日が続く。

実は、人生をリセットしたいという気持ちはリストラの2~3年ほど前にもあった。
ベンチャー起業家を集めてのネットワーキングイベントではキーパーソンとして明るくふるまっていたが、起業家たちの渦巻くエネルギーにあてられ、自分探しに憧れ、プライベートでは妻子を置いて一人暮らしを始めたことがきっかけとなった。
子供を置いてきた身勝手な自分に罪悪感に苛まれ、自殺したくなるほど精神は蝕まれた。

リストラで職を失い「本当の自分探し」に否応なく注力するはめになったのは皮肉だった。

退社までの長い有給休暇の中でアメリカに行くことにした。
IBMの元上司の結婚式に出席するためアリゾナ州フェニックスに近い、パワースポットとして名高いセドナに1週間滞在していた時、また急にひどい不安感に襲われた。
素晴らしい天気と心洗われる壮大な風景とは裏腹に、暗黒に引き込まれるような気持ちを持て余し、気分は最悪だった。

しかし、力をもらえると有名なセドナに折角いるので、暗い心を引きずったままベルロックという赤い岩山に登ってみることに。
この時経験した体の感覚と精神の転換をどう表現したらいいのか。
登った岩から凄まじいエネルギーが自分の尾てい骨を通じて入ってくるのを感じた。
心が闇から抜け出し、湧き上がってきた根拠のない自信。時間が経っても消えなかった。

2010年7月の正式退社後、友人たちから幾つか顧問として職をもらい、生活の心配はとりあえずなくなったが、本当に自分がしたいことを形にするのはこれからだった。

最初にしたことは、内なる自分ととことん向き合うことだった。
自分が本当にしたいことは何なのか、どんな風に役に立ちたいのか。
心のうちなるものを言葉化する努力を続けたら、「つながりによって人が輝くお手伝いをする」この言葉が降りてきた。
紹介した二人が何かを共有して輝く瞬間をこれまでも幾度となく見てきた。
そして、二人の心と自分の心も繋がりたいと願いながら、役に立つ場所を増やし、活動を広げた。

2017年秋現在、勝屋久氏の仕事は「スラッシュ・パーソン」の理想形像であり多彩だ。
*ビジネス・ブレークスルー大学 客員教授
*福岡県 Ruby・コンテンツビジネス振興会議 理事/ビジネスプロデュース事業プロデューサー
*総務省 NICT(情報通信機構) ICTメンタープラットフォーム メンター
*総務省 地域情報化アドバイザー
*西粟倉ローカルベンチャースクール メインメンター
*厚真町ローカルベンチャースクール メインメンター
*SENQ霞ヶ関 メンター
*鯖江市 NPO法人エル・コミュニュティ 理事
*上智大学理工学部 非常勤講師
*富山県立大学MOT 非常勤講師
*八戸大学・八戸短期大学総合研究所 客員研究員
*株式会社アカツキ(証券コード3932) 社外取締役
*株式会社クエステトラ 社外取締役
他、多数のベンチャー企業にてアドバイザー
*画家 など

これらをスラッシュで区切るとどうなるだろうか。
経営者メンター / 大学教員 / 自治体アドバイザー / 事業プロデューサー / 社外取締役 / 画家
今後まだまだ連なりそうだ。

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。