• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 6

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 6

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元IBM-VC日本代表 勝屋

外資系企業での輝かしいキャリアから一変。リストラを機に新たな自分を発掘、発信し続ける勝屋 久さん55才 ③

死を考えるほどの絶望感から一転、新たな人生に踏み出して、多くの仕事の機会を得られた理由は二つあると思っている。
一つは、自分の内なるものととことん向き合って本当にやりたいことを言葉化したこと。もう一つは、全てのプロセスを支えてくれている、パートナー祐子さんの存在のおかげだと思う。

リストラ後のどん底から仕事も徐々に増え、2年ほど経ち安定志向に傾いた自分に「画家になってみたら?」という、思いもよらない新たなチャレンジを投げかけてくれたのが、パートナーだった。
これまでプレゼンで盛り込んできたイラストの上手さや、描きためていた絵のユニークさを真っ先に評価してプロデューサーをかって出てくれた。

長じてから実は弱視であることがわかり、色付きの絵を描くことに躊躇する自分だったが、ヴィヴィッドな色使いで、何か大切なものに気付かせてくれるような作風に仕上がった絵は、3年前の1回目の展示会でほぼ完売、その後4回に渡る大好評の展示会を通してファンも増え、今ではジグレー版画やカレンダーを販売するまでになっている。
50歳を過ぎて、画家としての第一歩を踏み出そうとは思いもよらなかった。

ベンチャー企業の顧問としても、経営者と本質的なことを語り合う相談相手となった。
表層で戦略や手法を説くだけではなく、心の交流を心掛けた。
あるプロジェクトでは、メンバー達のチームビルディングが上手くいってなかったため、自分から本音でぶつかることで、チームの心を一つにまとめることもできた。

縁を大切にして100%の力を出すことで仕事はその後も次々舞い込んでくるようになった。
大企業を離れ、リストラという絶望の中から何とか立ち上がって2,3年のうちに、サラリーマン時代からは想像もつかなかった人生を今は生きている。
どん底から7年半、今後「心でつながる場を創り、人の輝きを呼び覚ますお手伝い」をすることで、自分が社会に役に立ちたいという想いはとどまるところを知らない。

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。