• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 9

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 9

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プレイボーイグループの編集部勤務から、出版プロデューサーほかスラッシュに活躍する久本勢津子氏 2

集英社で著名人たちの本を出版する仕事にも徐々に慣れ、自分の企画を形にすることも覚えた5年目。新プロジェクトに関わらないかという打診があった。
華やかさはないものの、学者的な緻密さを要求される部署だった。
今であれば非常にやり甲斐のある仕事だと思えただろうが、20代の自分には迷いがあった。

元々、独立という文字が頭にちらついていたこともあり、決断は早かった。
当時の池孝晃編集長に相談した時に言われた言葉は「久本クンは生意気だったからなあ」。
それから約半年後には千駄ヶ谷三丁目に事務所を開いて、念願の独立生活が始まった。

独立してすぐに某航空会社の広告の仕事が入ってきた。今思えば随分と恵まれたスタートだ。
強みは、4年半の集英社の経験で培った文壇文化人や一流のフリーランスの方々などの人脈だった。先輩が言った言葉が印象に残っている。「あなたのためなら仕事をする、と言ってくれる人を何人持てるかが、編集者の腕だよ」。
『月刊プレイボーイ』の仕事で出会った山田詠美氏や島田雅彦氏から、小林恭ニ氏や川村毅氏達へと広がり、彼らとの親交も、独立後の仕事を大きく助けてくれた。

しかし、独立直後に大手企業の広告仕事が舞い込んだような“ビギナーズラック”は長くは続かず、数か月後には仕事は“凪”状態となる。
怖いもの知らずの20代、フリーランスになれば仕事の波があることも知らなかった。

そんな時、人生のキーパーソンである写真家の故・高橋曻氏が、独立してからも心に掛けてくれた。
高橋氏が講談社の雑誌編集者達を紹介してくれたことで、今にいたるまでの講談社との仕事関係に繋がったのだ。

テーマを与えられて、誰に何を語ってもらい、あるいは書いてもらい、写真家やイラストレーターにどのような表現をしてもらうかを任される。
雑誌の仕事は講談社で学んだ。時には自ら書いたこともあったし、新雑誌の立ち上げにも準備の段階から関わった。
そのひとつが創刊号で荒木経惟氏に依頼した、志茂田景樹氏のヌード撮りおろしであった。荒木氏には「久本のせいで、初めて男のヌードを撮っちゃったよ」と言われた。
人に恵まれたこともあって、結果、講談社のかなりの雑誌に関わった。

それまで築いた、力のある書き手の方々との人脈が雑誌づくりでも活き、その後更に新しい媒体、プロジェクトで結実していくことになる。

(つづく)

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。