• 仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 13

仕事は幾つあってもいい!100年時代のビジネスライフ 13

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芸能マネージャーだった青年がExcelのカリスマ講師となるも40代で一次リタイアを宣言した訳とは
株式会社すごい改善 代表取締役 吉田 拳氏 ②

新卒で、歌手・高橋真梨子のマネージャーを経験するもその後3社4社と転職を繰り返すことになった吉田さん。
3社目は月星化成、4社目はメルシャンと有名企業へと次々にご縁を得たものの、自身は「指示待ちサラリーマン」だったと述懐する。

「有名企業に転職できても、中にはプロパー主義の社風の会社もあって、中途採用組として馴染み切れないものを感じることもありました」。

30歳になる直前に入った会社、メルシャンで「ビジネス分析」をタスクとして任されたことが、今にして思えば大きな転機となった。
会計上の数字を分析するためにExcelを駆使しなければならない日が続いた当時は、最初のうちは、その仕事の面白さが全くわからず、自称「Excelの作業員」と化した自分も嫌で、会計上の数字を理解することの意義も見い出せなかったという。
その頃、外資系企業に勤めていた知人友人たちと自分の給与格差が4~5倍ある現実を改めて知り、その差が何故なのか、どこから来るのかについて考えるようになった。
その分析・思考から思い至りを得られたのは、あれほど嫌だった会計分析の実績が基にあったからこそだった。
吉田さんの知見が新たなステージで開花していくことになる。

これまで給料に恵まれず、不満に思って転職を繰り返した訳は、自分が目指してきた業界の産業構造や、企業の会計を知らずに闇雲にトライしてきたからに他ならないことに気付き、一気に企業、産業、社会構造に対して目が開かれてゆく。
会計の構造、取りも直さずそのビジネスの仕組みと数字がわかっていなかったために、どれほど回り道をしてきたことか。
自分とは関係ないと思ってきた会計分析、ビジネス分析が、今後の自分の進むべき道を示してくれることになった。

次に目が向いたのは自分と同世代「30代で起業している人たちのコミュニティ」だった。
ブログやFacebookを通して、様々な人や情報に触れ、誰でも起業できる時代なのだと自覚するようになっていく。
企業の会計を知らず確認してこなかったために、構造不況に陥っている産業や企業ばかり就職先として目指してきたのが、そもそもの大きな間違いだった。
そして起業を目指す自分にとって、数字によるビジネス分析ができるようになった今の状況は、まさに鬼に金棒だ。
その後、起業家の交流会やセミナーに出席するようになって、更に心は固まっていった。
2010年、自分とは全く関係ないと思い続けてきた起業に足を踏み入れようと決意した。

(続く)

(文 槇 徳子)

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槇 徳子(まき のりこ)プロフィール

1964年 名古屋市出まれ。
慶応義塾大学卒業後、名古屋のCBC(中部日本放送)、テレビ東京で合計20年局アナとして勤務。テレビ東京ではニュースモーニングサテライト、クロージングベルなど主に経済・金融情報番組に携わる。
2007年に円満退社の後2008年に株式会社エムシーストラテジーを立ち上げ、PRコンサルタント業に転身。マスコミに「もっと出るべき」経営者や研究者の活躍をサポート、これまで法人では延べ50社以上と契約、個人10人以上のメディアリレーションに携わる。
独立して10年の経験を活かして、人生100年時代に現役シニアを目指す人達の役に立ちたいと目下画策中。