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日本を代表する映画監督・山田洋次氏 インタビュー

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『あきらめ悪く映画を作りなさい』山田洋次監督が渥美清さんからもらったメッセージ

1960年、日本人男性の平均寿命は65歳、女性は70歳でした。
それが今や男性80.75歳、女性は86.99歳(厚生労働省発表)と過去最高を更新しています。
100歳人生も珍しくない昨今、「年齢できめつけない、年齢にこだわらない、年齢におびえない、時の中身にこだわり、時を大切に使い、時を豊かに楽しむ(『女50歳からの100歳人生の生き方』(小島貴子著・さくら舎刊)より」まさにAgeless(エイジレス)な生き方のもとに、自身をリノベーション(刷新)し、更新していく時代を迎えています。
そうしたなか、今回は市井に生きる日本人の生きざまや日常風景について鋭くも温かい眼差しで表現し続け、常に自身の表現の世界を更新し続けている日本を代表する映画監督・山田洋次氏に、今の日本社会とAgelessな生き方をテーマにお話をうかがいました。

自分をとりまく世界に好奇心を持つことが大切

――山田監督は1931年生まれ、現在85歳でいらっしゃいます。
日本では「85歳というお年なのに、今も活躍されていて凄い」などと、良くも悪くも年齢の枠組みで人を評価する傾向がありますが、監督ご自身は、今の年齢についてどのように捉えていらっしゃいますか?

山田「僕はなるべく年齢のことは考えないようにしています。
ただ、この年齢で今も現役の映画監督でいられることは幸せだと思うべきでしょうね。
画家が絵を描き続けるように、作家が本を書き続けるように、各々の世界で現役で活躍し続けているのと変わらない。
年をとれば、それなりの味が出てくるものなんです。もちろん、夜更かしや徹夜ができないなど、肉体的なハンディキャップはあります。
でも、若い時には気がつかなかった人間の心理のあり方や微妙なしぐさや表情など、年をとってから発見できること、昔は見逃したことが見えてくる。

散歩中の様子を語る山田監督

僕はよく散歩をするけれど、ゆっくり歩いていると、道に生えている草花の美しさや生命力を感じることができます。スタスタ歩く人には見えない。
散歩をしていて、後から歩いてくる若者にすっと追い抜かれると、『俺はこんなに遅いのか』と口惜しいけど、その追い抜いた青年の後姿を見ながら『だけど、お前には見えないものが俺には見えているんだぞ!』と、心の中で叫んでますよ(笑)。
年をとることはムダではないと自分に云って聞かせながら、深みのある映画を作りたい と願っています。

――若い世代の役者さんたちが山田監督について『アイディア満載の映画青年のようだ』と親しみや信頼を寄せているインタビュー記事をよく目にします。若い世代との人間関係を上手に築く秘訣はあるのでしょうか?

山田「大切なのは、自分をとりまく世界に興味を持つことだと思います。
映画監督はどこかで子供のような好奇心を持ち続けていなくてはならない。珍しいものや景色に出会えば、驚かなくてはいけない。
それは、子供が機械に興味をもってすぐに分解したがる好奇心と同じかもしれません。
その好奇心は人間に対しても向けられるべきで、出会う人たちに関心を持つということ。
人間は複雑で奥行きのある生き物であり、そんな面白い人間が自分の周りにはたくさんいて、自分自身もまた複雑な構造をもった人間なんです。
足が弱くなり、物忘れがひどくなる自分に驚きつつ、それを含めて外側に興味を持つということが、映画作りのためになってくるんじゃないかと思いますね。」

『幸せとは何か』は、いくつになっても考え続けるべきこと。それを考えるために学び続けている

――数多くの名作を生み出している山田監督の代表作の一つであり、日本を代表する作品と言えば、やはり松竹映画『男はつらいよ』になると思います。
1969年の第1作から1995年の第48作に至るまで、26年間で全48作品が公開された国民的人気映画ですが、監督はずっと脚本も担当されてきました。
言わば、映画の中で寅さんが語っているセリフは、監督から発せられたメッセージということでもあります。その『寅さんの名言』は、時代の変遷や監督の年齢の積み重ねと共に、少しずつ変わっているようにも感じるのですが・・・。

山田「自分では意識しませんが、自然に変わってきているかもしれませんね。
若い頃は、心の中にある思いを素直に吐露していましたが、だんだん社会を見つめるようになってきて、例えば1987年に公開された第39作「男はつらいよ 寅次郎物語」では、寅さんにこんなセリフを云わせました。

『あぁ生まれてきて良かったな、って思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか』。

思えばあの頃の日本人は、物質慾の充実イコール幸福という消費文化の中にいたような気がします。お洒落なマンション、カッコいい車、美味しいフランス料理と、資本主義的な幸福感にごまかされていた。
幸せという言葉が社会に充満していて、誰もが幸せ幸せって言うけれど、幸せってほんとうは何なのだろう?と、僕自身が考えていたものです。
ついこの間の昔、夏目漱石の時代の日本人は「幸福になりたい」などという言葉を口にしたのだろうか?生きるということは、つらいことばかりだったんじゃないか―。
そうした問いかけをするなかで、生まれたセリフでした。」

――1987年は、ちょうど日本がバブル経済に向かう頃ですね。そのバブルが弾けた直後の1993年に公開された『学校』でも、幸せとは何だろう?と考えるシーンが出てきますね。

山田「『学校』の最後の場面で西田敏行が演じる夜間中学の教師が「幸せっていったい何なのだろう?」と、生徒たちに疑問を投げかけるんです。
生徒たちは各々に「家族が一緒に暮らすこと」とか「老後が安心であること」などともっともらしく答えるんだけど、「幸せって、結局、金だろ」という生徒が出てきて、それこそが現実社会における正解になるわけです。
学校の授業とか公式の場では、皆がお行儀よく答えるけれど、本音のところでは「お金がなければ幸せにはなれない」と思っている。教師はその生徒の正直さをうんと賞めながらも、その次に「でも本当にそうなんだろうか」と問い続ける。
それで最後に「そういうことを考えるために私たちは勉強しているんじゃないか」という結論になる。この答えは、ぼくたちはいくつになっても考え続けるべきテーマなのではないかと、思います。」

『インテリは粘り強い』名優・渥美清さんからもらった様々な言葉

――山田監督が常に社会と向き合い考え続けていくなかで、様々な人との出会いがあったことと思います。監督の人生に影響を与えた人物について教えていただけますか?

山田「やはり、渥美清さんとの出会いは大きかったですね。渥美さんから多くの言葉をもらいました。
例えば『山田さんはエリートだからなぁ』と言われる度に、『あなたは一番ビリの子の気持ちがわからないだろう』と言われているような気がしていました。と同時に、『山田さんはよく食べますね。私は昔から食が細いんですよ。だから早死にします』とも言っていた。
渥美さんは子供の頃から体が弱く病気ばかりしていて、小学校も長期欠席が多く、勉強はまるでできなかったと言うんです。だから僕を見て、この人は欠席しないで勉強して級長をしていたような人なんだなと思ったのだろう。
そういう視点で見つめられた僕はなんだか後ろめたいような気持ちになったものです。
一方、『山田さんはインテリですね。だから粘り強い。なかなかあきらめません。私はインテリじゃないからすぐあきらめちゃう。それじゃ、いいものはできませんね』とも言ってくれました。
それはつまり、僕のしつこさやあきらめの悪さを彼が評価してくれていて、『あきらめ悪く映画を作りなさい』というメッセージでもあるわけです。
今でもあの世からそう言ってくれている気がします。
『男はつらいよ』シリーズが始まってちょうど10年後の1979年に公開された第23作『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』の頃、やたらと『マンネリズムだ』と、映画評論家から悪口を書かれたものです。僕自身、気分のいいものではありませんでした。
ロケをしている時、渥美さんと一緒に落ち葉を踏みながら林の中を歩きつつ『俺の映画が気に入らないなら無視してほしい。どうしてわざわざ悪口を書くのだろう』と愚痴をこぼしたら、彼は『山田さん、自信のある人は、どんなに謙虚であろうと努力をしても、周りからは傲慢に見えるものなんですよ。だから仕方ないんです』と、励ましてくれました。渥美さんからは、そんな風にたくさんの教訓をもらいましたね。」

高齢者問題はオリンピックよりも重大な課題。
安心して老いることのできる社会を

――常に今の日本、社会を見つめている山田監督が今、一番心配なこと、気にかけていることは何ですか?

山田「やはり、憲法改正の問題です。
僕は小学校、中学校時代に戦争を体験しました。日本国憲法が施行されたのは戦後、僕が16歳になった1947年です。あの頃の日本人は住むところもなく、お腹は空いていて、ほぼ飢餓状態。でも、希望だけはあった。
それは、この国が軍隊を持たない国になる、すごい変わり方をするんだという驚きの思いと共にあったんです。
あれから70年たって、世界にまだまだ平和は訪れていない。
人間はなぜ賢くなれないのか…と思います。
そして心配事としては、今後の日本で高齢者が安心して年をとっていけるのか、という問題です。
今の社会は屈強な現役世代向けに作られている。社会インフラも活発に動ける人たちを想定して揃っている。

社会問題について熱く語る山田監督

僕の近所に介護の仕事をしている若者がいるんだけど、腕があざだらけなんです。
おむつを変える時に、噛みつかれたりひっかかれたりするから。老人側は『なんで、そんなことをするんだ!』という気持ちがあり、一方、若者側は『必要なことをやってるのに!』とムカムカしてしまう。
なぜ痛み合わなければならないのか、と思いますね。
どうしたらそうならないのかということについて、この国はもっと真剣に考えていかなくてはならないし、そうでなければ安心した老後は送れない。
今、日本人は誰もが老人問題を抱えているはずです。自分でなくとも、親や祖父母たちが抱えた問題であり、誰もがいつかは行く道、パンドラの箱なんです。
一部の人たちではなく、国会で議論されるべきオリンピックなどよりはるかに重大な課題です。
北欧の国々などに見習うべきことは学んで、安心して老いることのできる社会を作っていきたいものですね。」

山田洋次監督 プロフィール

東京大学法学部卒業後、1954年に松竹株式会社に入社。初監督作品は1961年に公開された「二階の他人」。1969年からは「男はつらいよ」シリーズの監督、1988年からは「釣りバカ日誌」シリーズの脚本を手がける。1977年、「幸福の黄色いハンカチ」で第1回日本アカデミー賞 最優秀作品賞を始め6部門を受賞。近年は米アカデミー外国語映画賞にノミネートされた「たそがれ清兵衛」(2002)を始め、藤沢周平原作の時代劇「隠し剣 鬼の爪」(2004)、「武士の一分」(2006)や、吉永小百合主演の「母べえ」(2008)、「おとうと」(2010)の他、「家族はつらいよ」シリーズ(2016・2017)など数多くの名作を生み出している。1996年に紫綬褒章を受賞、2004年に文化功労者に選出。2012年文化勲章受賞。

取材・文 鈴木ともみ

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